2016/03/27

リアルファーのこと。

マハトマ・ガンジーの名言に、このような言葉がある。

「国の偉大さ 道徳的発展は その国における動物の扱い方で判る」


さて、この国ではどうだろうか。



いつも通勤途中で目にするポスターがある。
まだ幼く、ふんわりとした毛並みの、青白く愛らしい動物・・あれはキツネだろうか・・、
毎回こちらを、それはそれは悲しそうな眼で見つめてくるのだ。

そのポスターにはこんなことが書かれている。

「毛皮(リアルファー)を買わなければ  僕たちは殺されない」



若いころ、無知だった私は、好んでリアルファー商品を購入し、身に着けていた。
経験的に、草食動物よりも肉食動物の物の方が持ちが良いことまで知っていた。

それらがもちろん、以前は自分と同じように息をして、心臓が鼓動し、赤い血液がめぐり、
喜びも痛みも感じる生命だとは、想像さえせずに、
ただファッションの一部として、または自分の個性の表現方法として、選択していたのだった。


学んだのは、8年前に、保護された子猫を引き取ってからだった。

さび猫というオレンジと茶色が複雑に合わさった美しい毛色で、
とてもなめらかでふわふわのした、大変肌触りの良い毛並みである。

彼女の温かいふわふわとした、小さな体を触りながら、その感触がかつて所用していた毛皮商品と似ていることを感じ、
私はあらためて、あれは生きていた動物の物だったのだと痛感した。


かつて、大昔、リアルファー(毛皮)は防寒衣として用いられていた。
やがて、毛皮は権力の象徴とされ、己の力を誇示するための道具となった。
高価な毛皮は財力の証となり、貴婦人達が競い合い、毛皮を着用した。

私の幼い頃は、家に、キツネの顔つきファーがあったのを思い出す。幼心にあれが何なのかよくわからず、不思議に感じていた。
母は淡いグレーのラビットファーの毛皮を大切にしていた。
当時は何か月分もの月給を払って購入した高級品だっただろう。

今ではファストファッションでさえ、様々なリアルファー商品を取りそろえ、けっして所得が高いとは言えない若者でも、
リアルファーを首元や、足元、バック、ヘアアクセサリーとして手軽に身に着ける時代となった。

さて、購入者はリアルファーが、今まで我々と同様の命ある存在だったと、想像し理解したうえで購入するだろうか。
それとも、スーパーの魚の切り身に慣れた子供が、切り身のままで海に泳いでると想像するのと同じく、それがかつての生物だったとは想像だに及ばず、
今のトレンド(流行り)だから、おしゃれだからと、ただ世の中に流されて購入するだけだろうか。

それとも、リアルファーを身に着けて、かつての大昔の豪族のように、強さや権力を誇示したいのだろうか。
または、個性や自己顕示欲の表現のための道具なのか。


私は、かつてリアルファーを所持したものとして、自分が身に着けていたものの真の姿を知るべきだと思った。かつてはどのような生物で、どのようにして得られるものなのか、知るべきだと思った。
それはある種の贖罪でもあった。

検索すると、辛い記事や動画・画像が、山のように出てきた。
それは見るに堪えられないものばかりであった。


浅い知識のなかで、ミンクやフェレット等のイタチ系の動物の多くが、毛皮にされることは知っていた。
宮沢賢治作「銀貨鉄道の夜」の一説でも出てくるように、ラッコもその対象だと知っていた。

表記にラクーンとあるものはタヌキ、キツネの毛皮もよく見かける。

ティーン向け商品には、とろけるような肌触りのラビットファーがよく使われている。
かたや、巷ではうさぎ人気で、うさぎカフェなるものも登場し、うさぎの写真集が売れて、
ペットショップでは多くの生体販売もされている。

ふと、ラビットファー商品を身に着けながら、うさぎカフェでうさぎを愛でながらお茶を飲む・・そんな女子達を想像した。
この認知的不協和状態をいったいどのように解消しているのか、興味をそそられる。

そしてあの小さなリス達までもが毛皮の対象とは、下記ページで初めて知った。

【JAVA】 毛皮のこと

上記JAVAによれば、「1枚のファーのコートを作るために、リンクス(オオヤマネコ)は12~15頭、キツネは15~20頭、アライグマは27~30頭、ミンクは60~80匹、リスは60~100匹使われ」るとのこと。

たった1枚のコートの為に、どれだけの命が殺戮されているのか・・


リアルファーについて知ってしまった私は、今では猫のおもちゃにファーが使われているものも避ける。

そして、我が愛する猫達も、毛皮の対象になっていることを、最近知った・・
我が愛猫を撫でながら、確かにこのなめらかでふわふわとした毛並みは最高に魅力的だろうと感じる。
だからといって、人間の私利私欲のために、むやみな殺生をしてよいとは思わない。
彼らの毛皮は、彼らにとって生きる為に必要であり、彼らが命を全うするまで、
彼らだけのものであるからだ。

現在、リアルファーの代替としてのフェイクファー商品の質の高さは素晴らしい。
見ためも肌触りも、保温性も良く、ケアも簡単で、安価である。
どうしてもファー商品が好みであれば、フェイクファーを購入すればよい。

また、大昔とは違い、今は質が高くて機能性の良い繊維も生産され、それらで作られた衣料品もたくさんある。
防寒対策であれば、毛皮を着るよりももっと効率的で、お財布にも環境にも優しいものが沢山ある。
今の時代に、毛皮を着用することは、まるで、時代を逆行しているかのように思う。


もしも、防寒やファッション以外の目的、例えば、毛皮により自己顕示欲を満たしたい、またはアイデンティティを保持したいという目的であるならば、もっと別の道があるのではないだろうか。

自己肯定感やアイデンティティ、強さや個性といったものは、そんな表面的で、簡単に得られるものではなく、
様々な人生の経験によりもたらされる、心の奥深くから染み出てくるものではなかろうか。

自分を愛し、他者を尊び、生命を大切に想い、
人生を一生懸命歩み、積極的に楽しんでいる人は、それだけでファッショナブルで、個性的で、美しいと思う。


そのリアルファーは本当に必要なのか、今一度考えてみてほしい。

その毛皮は本当におしゃれなのか、リアルファーの実際を知ってから、もう一度チョイスしてほしい。


行き過ぎた市場原理主義の闇の犠牲者である動物たちのことを、もっと想像してほしい。

彼らの姿は我々の生きる世界の鏡であり、行き着く先の我々の姿、そのものかもしれないのだから。



不必要な生命の虐殺を、続けるも、なくすのも、我々の選択一つ次第。


そして、毛皮のことと同様に、
市場での安価競争、安すぎる物やサービスにも、どこかで誰かが、その命を蔑ろにされ、
苦しんでいるのではないだろうかと想像してみることも必要だ。



※No Fur 缶バッチ(76mm)作成しました。
※2017年2月追記・・こちらのサイトKyon_Psychout(ハンズギャラリーマーケット)でご購入いただけます。




さりげなくアピールすることから初めてみても、良いと思って描きました。

かれらはひとつひとつ図鑑や写真を見ながら描いたのですが、
不思議と、彼らを描いていると、心が穏やかになります。
彼らの表情はとても穏やかで、邪気がありません。

本当に申し訳ないという気持ちで、かれらそれぞれを描きました。


ミンクにイタチ、フェレット、おこじょ、キツネやタヌキ、リスやモルモット、
あざらしや、その美しさ故に乱獲の対象にもなるシカやサイ、ゾウ、
様々な鳥たち・・・

ここには入りきらない仲間達が、まだまだいます。

その中で、カタツムリがいることに疑問を感じられる方もいるでしょう。

わが家には大切に育てているカタツムリが2匹います。
かれらと過ごしてみて、かれらも私たちと同じ心臓が鼓動し肺で息をしている生命だと感じています。
可愛らしい姿に、なんども救われたこともあります。

しかし昨今、話題のカタツムリクリームには、ネットで調べてみると、
カタツムリに人為的にストレスを与え採取した粘液から作られているといいます。

心がしくしく痛みました。
そんなもので本当に美しい肌がえられるのか疑問です。

私の愛するカタツムリ達にも敬意を表するつもりで、この絵に描き入れました。



この世界は人間だけのものではなく、
また、人間だけが特別優れているというわけでもないのです。

カタツムリのことをいうと、彼らの小さな口の中には、約二万本の歯があるといいます。

また、-120度の世界でも死なずに生きるといいます。

これが人間で可能でしょうか。おそらく即死ではないかと思います。



そのおごりを無くすためには、人間の持つ機能や生命力は、時として他の生物より軟弱であるということ、

また、この自然のほんの一部に過ぎないなのだということを、
あらためて考えなくてはいけないかもしれません。