Kyon {Silence Of Monochrome}

Kyon {Silence Of Monochrome}
上記をクリックするとKyonイラストのホームページとなります。ぜひご覧ください。

2012/01/10

舞台

ひっそりと穏やかに過ごしているつもりが、
突然、舞台に引きずり出される事がある。
心理劇で言えば、突如、補助自我の役目を求められるような・・
こちらは一切望んでいないにも関わらず・・

人は、ひとりでは生きていないのだ・という事を、
まざまざと見せつけられたような出来事に遭遇する。
それは、過去の自分が自覚の有無にかかわらず撒いた種がいつの間にか発芽し、
それは時には甘く美味であり、時には歪で苦い味のする実をつけていたりするようなものだ。
種はいつ撒かれたのか、自分では定かではなくても、
確実に人の心に、関係性に、人生の道端に撒かれており、
そのうち発芽する。


舞台に引きずりだされたとはいえ、自分の配役が今一掴めない事もある。
自分の人生においては、自分が主人公ではあるが、
時に、他者の人生において、キューピットになったり、
黒子になったり、アニマ・アニムスとなったり、
トリックスターとなったり、老賢者という配役をになったりもする。
人生には人の数だけ舞台があり、配役がある。
苦虫を噛みしめるような配役をつかまされても、
一歩舞台を降りれば、又違う舞台において、
違う仮面を被って、綺麗な衣服をまとい、
他人を様々な補助自我に用いながら、笑っていたりもする。
人間関係とは、そのような舞台の入り組んだ姿そのもののような気がする。
「お互い様」そのような言葉が、目の前にちらちらとうつる・・

日々の生の中で、稲妻のように降りかかる災難や障害・・
これらは、そうした「舞台」の存在を顕在化するものだと思う。
人が人である限り、人の間で生きる「人間」である限り、
常に誰かの舞台に配役され、
自分自身の舞台においても同時に主役を演じている最中だという事を
忘れてはならないという、ある種の警告のようにも感じる。

台本も無く、セリフも無い、エンドレスの舞台である。
まずは演じる事を楽しむ事が必要だろう。
演じる時に使う仮面=ペルソナは面ともとれる。
面は、メンと同時にオモテともよめる。
仮面を被った私も同時に「私」自身なのだ。
オモテがあればウラもある。ウラの存在に動じることはない。
人間はそういうものの表裏一体で生きていく。

そして、多くの舞台では「仮面」が必要になってくる。