2011/12/07

あずき















12月7日、午後2時30分。あずき、永眠・・・

出会った日の事は今でも覚えている。
遊んだ玩具や、食器は今でも、とっておいてある。

初めてミルクを飲ませた時や、指をかまれた時の事、とても懐かしい・・・
日記は読み返せない・・・写真を見れば涙が出てくる・・・

あんなに愛らしい仔にはもう二度と会えないだろう。


あずき。

いつまでも、私たちの天使・・・
いつまでも、、宝物・・・

2011/12/03

添加物は欲しくない

食品添加物に気をつけ始めたのは、ちょうど1年前・・・

きっかけは、昨年の小さな愛猫、あずきの「死」だった。
あずきは野良猫で、生後まだ1ヶ月の弱々しい身体で
路上の真ん中をうろついていたのを私が保護したのだった。
丁寧に、慎重に育てていたつもりだったのに、
わずか4ヶ月で空に上っていってしまった・・・

私は悲しくて、来る日も来る日も、ずっと「死」について考えた。
この子の死の後ろには何千、何万体という
可哀そうな動物達の死骸が転がっている様にも思えた。
それは、外でひっそりと死んでいく仲間たちであり、
もしかしたら人間によって殺される仲間たちかもしれない。
この子のように、人間の手で骨まで拾いあげられる子はそうそういないように感じた。
だからなおさら、あずきには長生きをして欲しかった・・・

人間達の手によって死んでいく命に、「動物実験」の犠牲がある。
新たな新薬、化粧品、食品添加物などが生み出される度に、
その安全性を確かめるべく、実験が行われる。
動物はそもそも、人間とは生理的に違う事や、
残虐な実験の実態に倫理的な論点からも、その是非は長く議論され、
出口が未だに見つからない。
それはまた、現代において一種のタブーの様でもあり、
福島原発事故以前の原発論争にも似た様相を受ける。
「動物実験が無くなれば、新薬は開発できませんよ?」
(原発が無くなれば、この豊かさは享受できませんよ?)
「貴方も既に、薬に助けられているでしょう?」
(貴方だって電気を使ってきたのでしょう?)
そんな言葉を想像する。それは今でも推進派から口にされる言葉だろうと思う。
ただここで書きたいのはそういう事ではない。
時代の流れ、経済のめまぐるしい成長と共に、
私達の生活に利便性・効率性、即時性を追求した、
その答えの一つが「食品添加物」であり、
それらの開発の為に、沢山の命も費やされてきたのだろうという事だ。
そして、食品添加物は、
食品ではない異物として扱われているからこそ表示義務があるのであり、
その異物を何世代にもおいて等、長期摂取した実例は未だないから、
人体の影響も、未知の部分が多いのではないだろうか。
だから、我々も今、数々の添加物を摂取する事により、
言葉は悪いが「人体実験」の最中にいるといっても過言ではない気がする。
考えてみればおかしな話だ。
スーパーへ行けば、塩と大根だけで作った「天然」の漬物よりも、
幾度も研究を重ねて労力を駆使してできあがったであろう添加物を、
プラスした漬物の方が安い。
素朴な商品や、無添加である程、高価になる・・・
それは化粧品でも、日用品でもそう。

一方で、消費者のニーズ=長期保存性・みため・味・価格・・・これらを追求し、
さらに大量に効率よく短時間で生産する為には、
どうしても添加物に頼らなければ企業は生きていけない。
そして、企業を選び、「食べて支えてきた」のは消費者だ。
添加物を生み出してきた責任は、私達消費者にもおおいにあると思う。
しかしそれを自覚しつつ、買い物に出かける人はおそらく相当少ないだろう。

私は、買い物に行く度に、商品の裏をみる。
台所にない調味料を避ける事という指摘は、なるほどわかりやすいと思った。
そしてよく解らない言葉を避ける。それだけでも直観的に判断できる。
そして、何故安いのか、何故こんなにきれいなのか、
何故(常温で長時間出されていても)腐りにくいのか等、
ちょっとでも疑問に感じれば購入を考える。
そして迂回に迂回を重ね、やっと納得した商品を買うようにしている。
昨今の放射能汚染もあって、産地等も気にかけていると、
自ずと選択肢は狭まり、
毎日の買物には倍の時間がかかるようになってしまった。

仕事に明け暮れていた以前は、
コンビニ弁当やサラダは当たり前、スーパーのできあいのお惣菜、
カップ麺、即席レトルト、混ぜるだけのスパゲティソース等、ずっとお世話になっていた。
幸い仕事が以前より緩和した今、
そして、添加物の脅威を知ってしまったからには、
それらのものはまず避けようという気が働く。
そして、基本的な調味料・・砂糖、塩、醤油、みりん、酒、胡椒等を、
なるべく吟味して安全なものを揃えるようにし、
毎度の食事もなるべく手作りする事にした。

料理下手であったから、始めは手間取ったけど、
慣れてみると、だんだんと手際もよくなっていく。
自分でだしをとった味噌汁の自然な味。
はちみつと塩で煮たカボチャの甘くておいしいこと・・・
薄味に徐々になれ、味覚が徐々に戻ってきたように感じる。
逆にカップ麺やレトルト食品、ファーストフードは苦手となり、
外食さえも消極的になってきた。
しかし、経済的にはむしろその方が財布にやさしいし、
何より心と身体が変わったように感じる。
個人的な話だけれど、冬になると、酷いかゆみを伴うじんましんに悩んでいたが、
今年はそんなに酷くない・・・
本当の所は検査しないとわからないが、調べてみると、
添加物にはアレルギーやじんましんを引き起こすものもあるらしい。
それよりも、身体は食べ物からできているという事を改めて考え、
得体のしれないモノを、不安に思いながら毎日摂取するよりは、
少しでも自然なもの、昔から人々に愛されているものを選択していく・・・
それだけでも、心身の調和が整うように思う。


私にとっては、何よりも、尊い一つの命が教えてくれた事・・・
たった一度きりの命、たった一度限りの人生、
今その時を、大切にせよという事・・・

今日という日は今日だけのもので、
今日頂いた空気や水、そして食物によって、私達の身体は作られている。
そんな単純かつ明白なことに、今まで気づけなかった自分を恥じる。

経済優先や、欲求のおもむくまま、快楽原則のみで動いてしまったら、
いつか人は人で亡くなってしまう気がする。
3月に大地震が起こり、原発が爆発し、TPPという新たな脅威に狙われ、
混沌と、殺伐とした今だからこそ、
思考も行動も、食物も「自然体」でありたいと思う。
そして、猫達も私達も、自然から産まれた、なんら隔たりの無い、
ただ一つの同じ命であるということを、
深く深く、考えて行きたいと思う。