Kyon {Silence Of Monochrome}

Kyon {Silence Of Monochrome}
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2011/09/09

カウントダウン ゼロ

原子力=核という事をもっと考えたくて、この映画を観た。
恐ろしい映画だった。

映画を観終わって、
青空が、こんなにも綺麗にみえたのは久々だった。
1945年、アメリカが核兵器を持ってから66年間、
この青空の下、何事もなく、泣き笑いできた事が奇跡のように感じた。

かつて、ケネディ大統領はいった。

「我々は糸にぶら下った“核の剣”の下にいる。
 その糸は簡単に切れる。
“事故・誤算・狂気”によって・・」

冷戦時代、一触即発の事態があった。
そして、ずさんな放射性物質の管理によるテロの脅威。
「良いものであるなら、我々が持っても良いはずだ」
ある中東の科学者は言う。
現在、地球上の核兵器は約2万4千発。その96%が、米国とロシアの保有である。

戦慄を覚えた証言は数知れない。
途上国の研究者は言う。「我々は、草を食べてでも、核兵器を作る」
そして米国のある大佐は、
「核戦争が起きて何がいけない?
5億人が死ぬだけだ。生き残った生命はその後も続く」

誤算=コンピューターやヒューマンエラーの脅威も絶えない。
ボタンひとつで何千発もの核ミサイルが発射されるのだ。
そのボタンを押すのは、人間の判断であり、手作業であり、コンピューターに委ねられている。
かつて、ガンの群れが爆撃と間違われた事もあったという。
そのボタンが、必ずしも正規に押されるという事は無く、
むしろ、誤報や誤作動との鬩ぎ合いの中で、
じっと押されるのを待っている。
そうして60年以上の月日を、私達の頭上は過ぎてきたのだ。

ここで、ある東京電力の会見にて、
「ヒューマンエラーは重く見ない」という趣旨の発言を聞いたのを思い出した。
ヒューマンエラー=うっかりミス、
特に極限における人間の判断力は極度に鈍る。
1995年、米国がノルウェーから発射したオーロラ観測ロケットについて、
情報が行き届かず、 ロシアが核弾頭と認識。
当時のエリツィン大統領は、
「我が国は攻撃されています」と発射ボタンを差し出され、
5分で決断しなければならなかったという・・。
幸い、その時は最悪の事態を免れたが、
こうした事は、今でも引き続き起こりうり、
原子力発電所においても、それはいえるのだろうと思う。
そして、その「うっかりミス」を甘く見るところが、
最大のヒューマンエラーであると感じる。
人間は必ず、ミスを犯す・・・

現在、核保有国は9カ国。40カ国以上が核兵器建設の技術を持つという。
ある試算では、簡単な核兵器はわずか700万ドルで作れるとも・・
地図上でそれらの国々が赤く染まっていく中で、日本はその色に染まらずにいた。
だが、日本では今、甚大な原子力災害に見舞われている。
世界で唯一、核兵器を落とされた国であり、核兵器を持たないと宣言した国なのに、
自国の「核の平和利用」であるはずの原発が三機も「爆発」してしまった。
程度の違いはあれ、放射性物質はいまや日本中に広がり、
その驚異と不安の中で私達は生きて行く事になってしまった。
セシウムの量だけでもその数、広島原爆の160発以上だという。
その赤く塗られていく地図をみながら、
悲しく情けなく、やり切れない思いと共に、大きな空しさに襲われた・・・
映画館の中、涙が溢れそうになった。

この空はいったい誰のものなのかと思う。
緑が清々しいこれらの木々も、大地も、川も、海も。
いったい誰のものなのか、わからなくなってくる。
誰ものもでもないはずだし、誰に支配される道理もない。
しかし、人間だけが、それらすべてを支配しようとし、
挙句、消滅さえしかねない力を持つようになってしまった。

現在起こってしまった原子力災害も、人々から生活、人生の全てを奪い、
土地をも死滅させようとしている。
また、まだ産まれてこない命までも脅かそうとしている。
核兵器は「sudden death」、原発は「slow death」
もたらすものの違いはあれ、その本質は変わらない。

2009年、オバマ大統領はプラハ演説にて、「核無き世界を目指す」意向を示した。
 映画の中でゴルバチョフ元ソ連大統領やブレア元英国首相など、
様々な要人が口を揃えて、核兵器廃絶を訴える。
核の脅威を無くすには、人類が核兵器によって滅亡する前に、
核兵器を滅亡させること・・・
もはや、核兵器が国力や抑止力、富の象徴だった時代は終わったと感じ、
ただ「死」だけを包括するそれをゼロにしていく事が世界の流れだと感じた。
だから今こそ、この原子力災害に見舞われ、のたうちまわっている日本であるから、
この流れを継承し、世界をリードしていくべきではないかと思う。
その為の「脱原発」であるということは明白であり、
もっと人々の心に刻まれてほしい理念だと思う。
けっして、ブームや流行りで終わってはならないと思う。

これまで、数々の核・原子力関連の映画を観てきたが、
核の問題がこれほど巨大で、凶悪なものだったのかと絶句する程、
目眩を覚える強烈な内容の映画だった。
「原子力=核は抑止力、それをもたずしてどうする?」
といったある政治家の言葉が頭から離れない。
核は「死」そのものだと感じる。
「死」と手を組んだら、最後に残るはやはり「死」しかないと思う。
私達が今後どういう未来を望み、どう生きて行きたいのか、
本気で考え、行動しなければならないと強く思った。

行く先は霧の中で、まだまだ事態の収束はつかず、
物事を深く洞察をしていけば、途方もない真実に、
地に落ちそうな無力感に襲われる。
だけど、知る事を諦めない。希望を捨てない。
ひとりひとりが信じる事、
そして小さくてもいいからアクションを起こしていく事、
今一番、求められている事だと思う。


※映画【カウントダウン ゼロ】は新宿武蔵野館にて9月22日まで上映されているようです。