Kyon {Silence Of Monochrome}

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2011/09/25

東京原発

2004年公開の映画。正直、私はこの映画の存在を知らなかった。
2001年に、東海村での臨界事故があった。
2名の尊い命が無惨な死を遂げた重大事故にもかかわらず、
報道は規制され、国民の関心も線香花火の様に儚かった。
その3年後、この映画は公開された。
難しい内容を大変解りやすく、コミカルかつ軽快に描かれているが、
これはまさしく、原発依存を続ける未来の日本への「警告」だった。
しかし、役所広司や段田安則などの豪華俳優陣を起用しているのも関わらず、
当時の注目は相当、薄かったのではないか・と思う。
そうでなければ、現在のこの現状について、どうしても私の中で説明つかないのだ・・


役所広司氏ふんする天馬東京都知事は、
突然東京都に原発誘致を発案する。
「原発は都会にこそ似会う。このコンクリートジャングルに、
斬新な建物が一つ追加されるだけの事だ」

莫大な金をその周辺地域や関係者にばらまく、原発。
財政難に苦しむ東京都は今度はそれを「ばら撒かれる側」にまわるのだという。
映画の中では環境破壊にも言及している。
福島や新潟の美しい風景を破壊し、原発を建てた事に知事は疑問を呈す。
そして環境破壊することなく、東京で使う電気は東京で作る!それが筋だと声を荒げる。
「嫌なら、電気を使うな!!!」

思いつきや無知で発案したのではなく、
全てを知り尽くした上で、知事には相応の思惑があった。
知事はいう。
「世界一、無関心な都民」
その都民の眼を覚まさせる為には、
自分達の問題として原発を考える事が一番だ・と結論したのだろう。
知事は新宿中央公園に小型原子炉を作るという。
嫌ならば国民投票をさせるつもりだ。
原発の危険性や安全性、その必要性を真正面から国民に議論させるのだ。
なぜ、東京の電気が長年にわたり、田舎と呼ばれる遠い地域で
わざわざ長い送電線を用いてまで作られてきたのか、
なぜ、莫大な交付金が必要なのか、その真意を表面化する為に、
超マジョリティの立場を逆手に取ったという事だ。
もし1000万人の都民が原発NO!といった時、
それは国をも動かす一石となると知事は考えた。

「世界一、無関心な都民」
突き刺さる言葉。私もその一人だった・・・
でも福島原発事故が起きた今、そんな都民だってもう、無関心ではいられないだろう。
その証が、今月19日に開かれた5万人集会だろうと思う。

大江健三郎氏、落合恵子氏らが呼びかけ人。
私はこれに1人で参加した。
参加した感想は、一言でいえば、ガツンと頭を殴られ「目が覚めた」。
個人的には、そういう感じだった。
もう無関心ではいられない、傍観者ではいられない!
そして、何かがしたい!
そんな急き立てられるような思いを抱きながら参加したデモからは、
文字通り「本気」が伝わってきたのだった。
映画での天馬知事発案から7年後、
警鐘は何度となく鳴らされてきたのに、
悲しい事故を機にというのは、無念で残念で仕方がないが、
それでも「目が覚めた都民」を自ら自覚しつつ、
この流れがブームで終わらないように祈ってやまない・・・


この映画では、放射能についての危険性にはあまり触れていない。
だが象徴的な発言を専門家なる人物が口にする。
専門家:「放射能は隠したい側にとってはまことに、都合のよいものでして・・・」
職員:「ということは、もう、漏れているの・・・?」

つまり無味無臭無色という事をいいたいのだ。
そして漏らされた相手は全くわからない。
隠したい相手にとっては非常に好都合な事・・「無味無臭無色」。
知らされなければ、また可視化されなければ、私達は永遠にわからない。
それを原因に病に伏したとしても、因果関係も立証困難。
そして今まさに、私達は、その困難さと立ち向かわされている。
私達の生命は、国や電力会社に握られているも同然、
情報が的確に出される事は少なく、むしろ不透明さが目立つ。
個人での情報収集、判断、そして伝達、繋がり、守備が、
日を追うごとに肝心になってきている。
まるで内戦状態だと思う。静かな隠された戦い・・・
心がいつも不安定なのは、それを肌で感じているからだと思う。

専門家はこうも言う。
「東京に原発を作る事は、ハイリスク。
誰の為のリスク?それは、国と電力会社です。」
「彼らは机上で、煙草をふかしながら、賠償や補償問題について、
ソロバンをはじいているのです。」

東京で事故が起きたとしたら、最悪1000万人以上が避難し、土地を奪われ、
病に倒れる可能性がある。
そんなリスクは負えないという事だろうか。
そこに、住む所を奪われる私達ひとりひとりの苦悩や悲しみという文字は感じられない。
辺境に作るとはどういう事なのか、考えれば自ずと理解できてくる気がする・・
今の対応のあり方も・・
背筋に寒気が、ぞぞぞと走る。


この映画ではテロにつての脅威にもふれている。
極秘で輸送中のモックス燃料がトラックごと盗まれるのである。
ずさんな管理と、情報漏れ、
「絶対安全。事故が起こる確率は天文学的確率でありえない」
と具体的な数字や説明もなしに豪語する原子力安全委員会の人物が
象徴的に原発が内包した脆弱性を物語る。
映画の中で放射性廃棄物や燃料等は
日常茶飯事で国道や我々の生活圏を「走っている」という。
これが本当の事だとしたら、恐ろしいというレベルのものではない・・


エンターテイナー性に富み、いささか誇張ぎみの場面は否めないが、
原発の危険性を訴えるにはれぐらいがちょうどよいと思ったりもする。
実際、原発事故は誇張したくても誇張しきれない程、
とてつもなく甚大な被害をもたらすではないか。
危険なものは100歩先あるいて、
そこからちょっとずつ戻るくらいの危機意識でいいと思う。
現実は、この国の危機意識はその真逆だった・・
今では更に、危機意識は当初の10分の1以下になってしまっているかもしれない。
漏れた放射能など無いかの様に。
事故は終息したかの様に、日常が不気味な程、普通に動き出している。

テレビ好き、エンタ好き、有名人好きの国民には
こういった映画でのアピールは欠かせないと思う。
その為に作られた「東京原発」ではなかったかとすら思えてくる。
是非、今からでも多くの劇場や、テレビでやるべきだと思う。
原発問題の入門書には調度良いし、原発の危険性について非常に的を得ている。
ストーリーも飽きない。俳優陣が良い。
そして、2004年の映画だが内容が何ら古さを感じない。
(小道具や服装、建物等にはいささか当時を感じさせるものもあるが)
・・という事は、逆を言えば、7年前から原発問題は、何も進展してきていない・という事だろう。
それだけ、我々も無関心だったのであり、情報も操作、遮断されていた。

311以降、「目が覚めた」都民が今後、どういう行動をとっていくかに注目したい。
東京都は先日、天然ガス発電所建設案を出した。
猪瀬副知事は言っていた。「将来、国民が電気を自由に選べるようにならないといけない」
東京が動けば、日本が動く・・。映画の中での天馬知事の意気込みそのものを、
今こそ東京に見せつけて欲しいものだ。
ひとりの都民としても、切に願います。