Kyon {Silence Of Monochrome}

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2011/08/31

あしたが消える ~どうして原発?~

これは、22年前のわずか55分のドキュメンタリー。
だけど、過去の物語ではない。今の物語か、それ以上の「現実」となっている。


22年前、原発の定期検査など指導的な立場で働いていた父親を、
52歳で失った葛西真紀子さんの「父は何故死んだのか?」という純粋な疑問から、
話は進められていく。

骨ガンだった。入院後わずか4ヶ月で亡くなられた。
生前、父親が働いていた福島原発を見つめながら、葛西さんは言った。
「父は原発は危ないから、もう辞めるよ・と言っていた。
だけど、留めさせられた。父は、こうも言っていた。
人々が今の生活を維持したいなら、危険でも原発は必要だろう。
でも、本当にそうだろうか・・・」

父親の病気との因果関係は認められていない。
だが葛西さんの疑念は揺るがない。
「父は原発は二重三重の安全装置があるから絶対安全だと言っていた。
原発をずっと信じていた父が、裏切られたように感じる・・」

チェルノブイリ事故の映像が流れ、幾人もの防護服を着たリクビダートルが、
忙しく走りながら、収束作業にあたっていた。
自ら福島原発を設計した元プラント設計師の田中三彦氏は言った。
「チェルノブイリでは、国民のヒロイズムと愛国心が収束を導いた。
しかし、この二つは日本では機能しない。
大事故が起こった時、誰が止めるのか。・・誰も止められない・・」
そして、放射線で被曝をしているのは人間だけではないという。
「中の配管なども被曝している。そして老朽化する。
美浜原発はそれが著しい。大変に危険だ。」
22年前の話である。

驚いたのは、チェルノブイリ事故後、
食品はほぼノーチェックで輸入されていたという・・
1986年以降、私達は死の灰を添加されたものを食べていたという事か?
いったい、どの程度を、どれくらい?

元被曝労働者が被曝実態調査する医師に向かって話す。
金属が落ちてきて足の小指を切断する事になったが、
下請けだったために労災は下りなかった。
「燃料棒の交換作業がいちばん辛かったなぁ。
なんで辛かったんかって・・うぅ~ん・・」
「ある日、窯の中にナットが落ちて、皆で拾おうとしたがどうやっても拾えない。
そこで親方が、『おまえ、特攻隊でいけ』っちゅうた。
いろいろとすっかり支度してくれて・・。
もうどうにでもなれと、行った」

線量計をつけずに作業に入る事もあったという。
累積が多いと働けなくなるからと、作業員の思いは切実だった。
一番被曝が多いのは「責任者」だという。
その人一倍の責任感の強さに、全てまかせっきりと言う事だろうか。
今はもう着用されていないという防護服の燃えるような赤い色が、
なんだか私にはとても悲しく、恐ろしげに見えた・・
労働者の被曝実態調査は、労働者のプライバシーなど、
様々な理由で困難を極めるという。
それは今も全く、変わっていない。


 今は既に建設されている、青森六ヶ所村の建設予定地が映し出された。
そうか・・22年前はまだ建っていなかったのか・・。そう思った。
年月とは恐ろしい。
でもそこで酪農を営む男性の言葉は先を見通していた。
「一番先に影響がでるのは牛乳だって聞いている。
ここでもし大事故が起きたら、日本全体がだめになるのでは・・」

葛西さんの最後の言葉が今でも突き刺さる。
「東京で裕福に暮らしている人は、
豊かに暮らすその陰で、誰かが亡くなり、
または病気になり、その家族も苦しんでいるという事を考えて欲しい・・」
これは、原発労働者に限らず、
過酷な労働下で働く全ての人々にあてはまる事だろう。
私達の豊かさは過度に装飾、加味される分だけ、
多くの犠牲になりたっているともいえるのではないだろうか?
24時間営業の店や飲食店で長時間勤務する人々は?
猛暑の中、または極寒の中、交通整理や警備、建築に携わる人々は?
配送ニーズが増す度に、昼夜問わず走り回らなければならない配達員は?
考えれば考える程、社会の闇は部分は深くて、
この多大な労力とエネルギーを消費する「豊かさ」とはいったいなんなのだろう・・と深く考えさせられる。


最後の場面で、チェルノブイリ事故の汚染地図と、
日本地図が重なり合った映像が流れた。
それは福島原発がもし事故を起こしたらどうなるか・という、
22年前の1つのシュミレーションだった。
それは、まさに今の現実、そのものの姿だった。愕然とした。
そしてこんな言葉で締めくくられる。

「福島原発が万が一大事故を起こしたら、日本中全てが汚染されてしまう。
そしてその事故はあした起こるかもしれない」

「もう・・起こってしまった・・」
心でそう呟いた。

警鐘はあらゆる時代にあらゆる場所で、あらゆる媒体で鳴らされ続けていた。
「チャイナシンドローム」「シルクウッド」「アトミック・カフェ」
そして、「チェルノブイリハート」・・・
パンフレットにはその他にも多くの映像や映画の名が記載されている。
こんなにも、あったのか・・と思った。
知らされなかった・のでも、教えてくれなかった・のでもない。
知ろうとしてこなかった、自分自身に問題があるのだろう・と思った。


・・原発のない世界が良いと思っている。
心からそう思う。
生命にはとうてい許容できない核の脅威を感じ、不安を抱えながら生きていく事は、
たった1度限りの人生において、その意味や価値を大きく揺さぶると思う。
もしかしたら私の生きている間は、核の撤廃は望めないかもしれない。
そして、放射性廃棄物は、未来人の為にモニュメントが必要では?と揶揄される程、
何万年も、途方もない間残され、放射能を出し続けていく。
事故が起きた今、一度しかない人生に、
これからは放射能はどうしようもなく、組み込まれていく。
そういう世界になってしまった。
でも、人は変わろうと思えば内から変われる。人の作る世界も変化できると思う。
 時間はかかっても、希望は持ち続けたい。
この国の人々の関心や認識は確実に変わってきている。
また、もっと多くの人々が関心を持つ事も必要だと思う。
対岸の火事ではなく、自分の人生のことして。

そして「海や大地や空は、未来からの預かり物」だということを、
これからは、ずっと、忘れてはいけない・・。


PS:80年代の映像と音楽・・今とは違うサスペンス的な黒い香がして、
私にとっては(ホラー映画よりも)心底怖かったです・・。
でも、午前中だったのに、老若男女、人は結構いました。
映画の内容を一部抜粋しましたが、記憶をたどっての記述の為、
多少誤差があるかもしれません・・。