Kyon {Silence Of Monochrome}

Kyon {Silence Of Monochrome}
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2011/08/20

チェルノブイリハート

まず、映画の詳細についてはあまり触れずに、
率直に感じた事だけ、書いていこうと思う。

正直をいうと、「福島や日本も、いずれこうなるのでは」と、思ってはいても、
軽率に言えないし、言いたくない。
口に出すのも、ためらう。
それ程に、深刻で残酷で、悲しい内容だった・ということだ。

子供を心配して、苦渋の表情に、大粒の涙を浮かべる母親の姿・・
疲労と困惑の表情を浮かべて、半ば諦めにも似たため息をつかざるを得ない医師や看護師達・・
「ちきしょう!!くそったれめ!!」と、表情を変えずに唱える様に呟き続ける事故当時の避難者・・

これらがすべてを物語っている。
これらすべてを、今の日本に当てはめられる程、私の心は成熟していない。
理解するのを阻止しようとする、余分な感情までも湧き出てくる。
「そんなことない、そんなことないよ」だって見渡せば、
何事もなかったかのような、汚染等ないような景色が、
いくつもいくつも、そこいらに、散らばっている・・・

そこで、思う事がある。
今も、チェルノブイリ原発事故の悲惨な後遺症に悩まされるベラルーシやウクライナ。
そこの事故当時のセシウムに対する食品の基準値よりも、
今の日本の食品基準値が高いという事は、
一体どういう事を意味するのだろう?
例えば、「ウクライナの飲料水の基準値は1キログラム当たり2ベクレルに対し、
日本はセシウム134と137の合算値は200ベクレル(7月:AERAより)」
野菜や肉に関しても、同雑誌に解り易いグラフがあり一目瞭然だが、
日本より基準の厳しい場所で、
25年経った今でも深刻な後遺症に悩まされているという事実を目の当たりにし、
では、それよりも明らかに緩い基準での日本は、
今後どうなってしまうのか?っと率直に思う。

今日、初めて米からも検出というニュースを聞いた。
米の出荷制限の基準は500ベクレル・・・それ以下なら、私達の食卓に・・
日本人の大事な大事な、ほぼ毎日摂取する主食である。
本当に、安全なのか?

罪深いのは、原発を選択してもいない、
まだ見ぬ生命が脅かされているという事だ。
映画の中で、「ナンバーワンルーム」には、親から見捨てられた障害児達が、
所狭しと寝転がり、ただ生きているという現実。
大きなコブを後頭部に負いながらも、抱かれたその胸に頬を寄せる赤ちゃんのその愛らしさは、
他の健常な赤ん坊と何ら変わらく見えた。
それは、知的障害児でも、水頭症の子供達でも同じ・・
彼らの笑顔は、天使の微笑み、そのものに感じた。
だから、余計に、悲しく切なかった・・・
この子たちの両親もきっと、苦しみ、断腸の思いを味わったろう。
目玉がふやける程に、泣明かしたに違いない。
その現実を、例えば、私自身に当てはめる勇気が、
私はまだ、持てない・・・
私も自分が子を持つ望みを、まだ捨ててはいないからだ。
いかなる場合でも、私は自分の子を愛します、愛せます!と、
胸を張って言える自分が、悔しい事に、いないからだ・・・

だから、これは日本の向かう姿だろう・・と、うっすらと、ぼんやりと、
しかし強烈に感じてはいても、
私は声に出して言う勇気がない。
それ程に、恐ろしく、悲しい映画だった。

今後、内部被ばくの直接の原因となる、食品や水・飲料に対する基準が厳しくなり、
子供と妊婦、さらに今後次世代を生むであろう女性の身体を第一に考える方向に進んで欲しい。
そして、増大は避けられぬであろう、癌の他、多種多様の病魔に対し、
医療機器や医師の教育等、万全な体制を整えて「その時」に備えて欲しいと切に願う。
もしかしたら、私自身や私の大切な人達も、
何年後、何十年後かに、病に倒れるかもしれない。
自分の事、大切な人の事と重ねて思う程に、
この映画は「真実のもの」として、語りかけてくると思う。


日本で放出された放射能は、世界を、地球をも汚染した。
国境は人間がつくっただけのもの・・
海や空に国境は無い。
ということは、この原発事故の問題は、
私達だけの問題ではないという事も素直に理解でき、
また、頭に入れておくべきだと思う。
命はつながっている・・その言葉通りに。

過酷な運命を背負いながらも、懸命に生きている「チェルノブイリ」の子供達に、
土下座をして謝りたいくらいです。
過ちをまた、犯してしまった国の、1人の人間として・・
本当に、本当に、ごめんなさい。


PS・・
セシウムの検査で値が高く出てしまった、高校生。
大好きな木イチゴのジャムを計測したら、みるみるセシウムの値が上昇した。
「これは食べるのをやめなさい。これを食べる度に君はセシウムを摂取する事になるのだよ」
と先生に言われ、はにかむ笑顔を見せた。
きっと、このジャムを毎日、パンにたっぷりつけて、ほおばっていたのだろうな・・
状況が目に浮かんで、微笑ましくも、辛かった・・
これが、日常が破壊されるという事だ。


そして、本日の映画館、場所は渋谷であったが、
鑑賞者の少ない事もショックであった。
雨にもかかわらず、街にはあんなに沢山の人がいたのに。
この国の関心度はこんなものか・・と思いたくないが、目の当たりにしてしまった。
辛いのは百も承知だが、「知る」という事は、
自分の中で考える事に通じ、やりなおすきっかけになると思う。
そういう意味で、この国の人全てがこの「事実」を知る事も必要だと思っている。
この無残で悲惨な現状を幾つもふまえた上で、包括した上で、
このリスクを背負ってでも、原子力=核を推進しますか?
という問いかけをした時、
私達は、どう答えを出すであろうか・・・
出すべきだろうか。