2010/10/25

もう染み込んでいる

時々見る夢です。
混雑して熱気立つ店内に、
商品構成や展開をあれやこれやと考えながら徘徊する自分。
すると突然レジが壊れてしまい、慌てる店員と殺気立つ店内。
慌てて直そうと試みるがどうしても上手くいかない・・・

現実に過去にあったことかもしれません。
私にとっては悪夢です。
またこの様な夢も見ます。

職場へ行ったら、他の従業員が無言で抗議めいた眼差しを向けてくる。
何だと思ったら、私は入りの時間をすっかり間違えていた。
大きく「遅刻」していたのだ。

これも現実に過去にあったことかもしれません。
私にとってはやはり悪夢です。

激しく動悸をおこしながら飛び起きると、
それが夢であった事に気付き、本当に安堵します。
たわいのない日常の一片が再現されたに過ぎないのですが、
私にとっては、現実のその日をも揺さぶる程の「悪夢」なのです。


今であればワーカーホリックだったと思います。
自分は倒れなければ、仕事は休めない、
仕事を休むためには、倒れなければならない、
その為に、更に激しく仕事に没頭する自分がいました。
結論申せば、休みたいが故に、倒れる為に、働いていたといえるでしょう。
しかし、そんなに自分は軟ではありませんでした。
そんな状況が約4年続きました。

今思うと、それは決して心身共に健全ではなかったと思います。
「仕事」は熱意にこたえて順調に走り、結果も出してくれましたが、
それでも、良くやったねと素直には褒められない。
その時に経験した、数々の小さな葛藤や不安感や、
何よりも自分で自分を追い込んでいた自虐的な情景が、
時々「悪夢」となって今でも私を動悸つかせるのです。

後遺症とでもいえるかもしれません。
それは、今の自分対して感じる事です。
前職よりもマイペースで働けて、自分の時間が持て、猫たちとも暮らせている今、
それでいいのかともう一人の自分が時々囁きます。
{以前のようにもっと働け、もっと忙しく生きろ、それこそ絵も描けない程に}
そうなると、はたしてこのままで良いのだろうか、とたちまち不安に思うのです。

そんな時は、今やるべき事に向き合ってみる事にしています。
エンドレスな家事にしても、簡単な入力作業でも、
猫との他愛のない遊び一つにしても、
今あるその事に対して、正直に向き合ってみる。
どんな些細な事でも、私にしかできないことであって、
私がやらなければ誰もやってくれません。
それは、前職の時も同じで、似たようなある種の正義感と使命感でその時はがんじがらめになっていました。
今あるものは、他者の厳しい目や、自分の中の意地や自虐要素が少ない分、
質感がちょっと違います。
これが健全な頑張りとそれに伴う達成感なのか、と改めて感じる時があります。

時々みるそれらの「悪夢」よりも、
本当は絵を描く自分を置き去りにしていた、
その事が一番の「悪夢」であり、
「倒れたい」気持ちは、その自分の悲痛な悲鳴であったと今になって思います。

もう自分で自分を煙に巻き、迷宮に迷い込ませたくはない。
あの頃の懐かしい感覚に浸食されながらも、
何度もそう自分に言い聞かせていました。

2010/10/23

晴天の中曇り空

こんなに良い天気なのに、心の中はいささか曇り空。
人は他者や環境・社会などに様々影響を受けて、
少しずつ変容しながら、でも変わらない場所はいつまでも変化なく、
微妙なバランスで持って橋渡りをしているように思います。
そんな中で、多少の不調は当たり前と思っています。

それでも自分の中の、いわゆる薄汚い部分や黒い部分はあまり見たくないものです。
自分は決して真人間だとは微塵も思っていませんが、
それでも、暗黒の形相があからさまに姿を現すのは好ましい事ではなく、
私の中の良心がそれを阻止しようと躍起になり、
それが心の中で葛藤となるのです。
その情景が、この眩しいくらいの晴天と、心の曇り空の対比そのものです。

多かれ少なかれ人は心に幾つもの矛盾と葛藤を抱えて、
それらと日々折り合いをつけながら、
それも自分を構成している大切な一部に過ぎないと思って生きていく。

私のやりこなし方は、
黒くて甘い餡子をさっぱりとした薄皮に包んでパクッと食べてしまう、
そのようなイメージでしょうか。

しかし時々、傍にふわっとたたずむワサビの心が羨ましい。

2010/10/19

アズキ、体重が2倍に

新入りのオス猫、アズキです。
子猫はとても可愛いのですが、こんなにお世話が大変だとは思いませんでした。
先住猫のワサビがすごく大人に感じます。

9月に私がアズキを拾った時は300グラム。
それから体重も二倍に増えました。

時々ワサビと会うと、シャーと威嚇されて、目をまん丸くしていますが、
ご飯もモリモリ食べ、沢山遊んで、いささか元気過ぎて困っています。

この子の一生を見続ける覚悟を心に約束した時、ふと思ったのは、
人間では幼少期から老年期、
そして死まで、1人の人間が他の人間を連続してみることは不可能ですが、
この子たちの一生は長くても20年程で終えることとなり、
その幼少期から死までを全て見届けるということは、
本当に感慨深いものだということです。

そしてそれは私達飼い主にとって、楽しみで充実した日々ということと供に、
別れは想像を絶する程に、
寂しいことであり、悲しいことなんだと思います。

アズキがおじいさんになる頃は、私も中年期後期をてくてくと歩んでいる頃、
その時は今よりも、私の精神力の耐久性が心配ですが、
そんな先のことよりも、
今ここでお腹が空いたぁ!とワ―ワ―鳴いているアズキと、
アズキに少し嫉妬していつもより甘えてくるワサビのお世話をすることに気を向けて、
そんな日々を毎日、毎日変わらずに過ごしていけたらと思います。