2010/06/23

映画の話「愛のむきだし」

最近観た映画の話です。
「愛のむきだし」という4時間の大作を観ました。
それまで気にはなっていたのですが、
考え深いタイトルとその長さにずっと躊躇していました。
(これは腰を据えて見ないといけない)

しかし、見始めると同時に、
タイトルの割に意外とポップでテンポも絶妙な感じに進み、
人間の「心」の深部にまで及ぶ題材を扱っているのに解り易く、
しかし濃厚に細密に展開していく、その物語にぐんぐん引き込まれ、
4時間という長さは私は感じませんでした。

人の人格がどのように不可抗力の中で歪み、
妥協と許容の狭間で変容していくのかを痛烈に感じ、
このようなコンプレックスは、
種類は違くても根っこの部分で同じようなものが、
誰の心の中にでもあるのではないかと思うと、
人は本当に深いものだし、大変な中で生きているのだと思いました。

また人が「愛」によってどのように救済されうるのかも、
切なく苦しい程に表現されていて、
人(愛)によって人は傷つくけれども、
また人(愛)によって救われるという、、
一見単純なセオリーのようだけれど、
人間の人生の「元型」のような、
かけがえのない大事な部分を再確認できたように思います。

最後の30分の間に、化粧が全部落ちる程に一気に号泣してしまいましたが、
それは悲しいとか切ないとか、「感動した」などというような解り易い感情ではなく、
もっと心の深層のさらに奥深い所が共鳴して、
あふれ出てきたようなものに感じました。
それは透明で甘美な涙とは質の違う、
もっとどろどろとしたもので、
映画の内容から借りれば、「血の涙」のようなものだったかもしれません。

2010/06/22

宝石

 





家の近くには、アゲハ蝶の好む柑橘系の植物があります。
そこに、毎年蝶が卵を産みつけて行くのですが、
雨に流されないよう、ちゃんと葉の裏側に産みつけるので、感心します。
若い蝶が羽根を閉じたり開いたりして乾かしていました。
きっと産まれたばかりでしょう。
個人的に蝶は大好きなので、
その美しさにすっかり見入ってしまいました。



緑色のコロコロした姿の幼虫は可愛いのですが、
ややグロテスクな感もあり、
やはりこの美しさへの変貌には、
強い憧れを抱きます。
 
雨の日でも、風の強い日でも必死で枝に掴まりながら、
頑張って生きようとしている幼虫を見て、
「いつかあのような美しい蝶になって羽ばたいていけ」
と思います。
それは自分自身にも言い聞かせているような感じもします。

蛹の日々は長い。
それは人生の殆どの部分かもしれない。

しかし、せめて人生が終わる頃には、
蝶のような羽根で羽ばたいてみたい。
そう思います。



2010/06/09

雨の季節

雨はじとじとして嫌だという声は多いし、
腰痛および頭痛もちの私としても、
雨の日は痛みが出やすいので、
「雨よ、ようこそ!」とはならないのが本音です。
が、猫のワサビは、どうやら雨がお気に入りな様子。
朝からシトシト降りしきる雨を、窓から飽きずに眺めています。
多分、屋根にあたる雨粒が奏でる、雨音を聞いているのだと思います。
そういえば、何かで聞いたことがあるのですが、
絶対音感のある人では、雨音が様々なメロディーに聞こえ、
それがとてもうるさく感じる人もいるとか。
猫の聴覚も人間よりはるかに敏感といいますから、
どんな音に聞こえているのか、不思議です。

個人的に、上記の理由は抜きにして、
雨は好きでも嫌いでもありません。
なので、「雨か、嫌だなあ」と積極的に思わないようにしています。
「雨が降れば、植木に水をやらなくてすむわ」とか、
「肌が潤っていいわ」など、
前向きに捉えるようにしています。
これは、他の物事にも応用できて、
よくある話ですが、コップと水に例えると、
なみなみと注いだ水が、コップの3分の1になった時、
「もう3分の1しかない」
と思うよりは、
「まだ3分の1あるぞ」
と思うほうが気が楽になる、と同じ原理です。

他者を変えることはできないが、
自分自身、特に内面は、いかようにも変えることが出来る。

私には幸い「ワサビ」という良い心の師がいます。
「雨音は気持ちいいにゃ~」
そんな感じで、今日も朝早く、窓から外を眺めております。