2010/05/31

ワサビの寝言

猫のワサビはたまに寝言を言います。
この前も、朝方「ニャウニャウニャ~」という大きな声がしたので、
びっくりしてワサビをみると、心地よさそうに眠っていました。

遊んでいる夢でも見ているのでしょうか。
夢は無意識や深層心理の産物でもあるということを聞いたことがありますが、
すると、猫の中にもそのようなものが存在するということなのでしょうか。

当たり前ですが、人間は24時間のうち、その3分の1は眠っています。
その間、覚えていなくても何らかの夢を見ている。
私は、夢は別世界へ行っているような、精神だけ旅をしているような気がしているので、
夢を見ることが、1日の最後の楽しみとなっています。
時々はとび起きるほどに恐ろしい夢を見る時もありますが、
そんな夢にも、何かヒントや謎解きのようなものが隠されています。

人生は普通に睡眠をとっていれば、3分の1は眠っているのだと思うと、
さらに、その間常に見ている「夢」の風景や情景を無視せずにはいられません。

2010/05/24

デザインフェスタその後・・

20代の頃に参加した時は、
とりあえず何かしたくて、また、作品を見てもらいたくてという
半ば衝動のようなものに突き動かされて参加していた感があります。

少し間があいて、時間の経過とともに私も年をとり、
当時の衝動的な部分や、がめつさは随分と薄くなったものの、
作品を多くの人に見てもらいたい、という気持ちだけは変わりませんでした。

やはり実感したのは、私も含めて、
人は常に何かを創造していないと落ち着かないというか、
とにかくエネルギーに満ちた存在なんだという事です。

そのエネルギーは、もしかしたら強大過ぎて、
自分の中で飼い慣らすことができずに、
自身をも破壊してしまうかもしれないし、
もしかしたら、予期せぬ退行が起きるかもしれない。
けれども、DFに参加された多くのアーティストが、
素晴らしい創造を成し遂げているのを見ると、
やはり、そのエネルギーがもたらすものは素晴らしく、
偉大だと思います。

私も、微力なものでも、参加することが出来て光栄でした。
また、絵を描いていて本当に良かった!と、新鮮にそう思えました。
そして、そのような気持ちを味わえたのは、
やはり時の経過とそれに伴う数々の経験が、
自分の中に、何らかの変化をもたらしてくれたのだと思います。

歳をとるのは嫌だ・という人は多いですが、
このような未知の気分を味わえるなら、
歳をとって行くことが楽しみになってきますし、、
次のステージでの、また新たな発見を探求して行けたら、と思います。
自分自身の心を常に見つめて、精神的な鍛錬を続けて行ければ、
10年後、20年後、描く絵がもっと多くの事を語ってくれることと願い、
それを励みに、歩み続けて行こうと思います。

2010/05/17

デザインフェスタVol.31終了 ありがとうございました!

2010年5月15,16日 DESIGN FESTA Vol.31
無事終了いたしました。
今はイベント特有の燃え尽き症候群気味です・・・・・

8年ぶりの参加だったので、
自分自身のブランクが不安だったのですが、
やはりエネルギッシュで、パワフルで、
魅力的なフェスだとあらためて実感し、
多くの方に作品を見てもらえ、大きなエネルギーを頂きました。
DESIGN FESTAの出展者紹介欄を見てわざわざ見に来て下さった方や、
昔から作品を観て下さっている方も、遠方から足を運んでくれて、
本当に嬉しく、本当に感謝しております。
また、新たに様々な方々ともお話が出来て、
有意義で貴重な時間を過ごすことが出来ました。
ここでお礼を言わせて頂きます。
ありがとうございました!!

デザインフェスタでお会いするのはまた来年になるかと思いますが、
その間、かなりゆっくりとですが、着実に作品を描いて行きたいと思います。
そしてまたご縁があれば、ぜひ見て頂きたいと思います。

今後ともKyonを宜しくお願いします。


※デザインフェスタ Vol.31の出展者紹介ページで、
私の名前が誤って平仮名表記になっております。
正式には【Kyon : psychout  0】です。



〈お知らせ〉
デザインフェスタで私の作品を見て頂いた方で、
Web Site【Silennce Of Monochrome】にて、作品集をご購入されたい方は、
送料をサービスいたします。
メールでのご連絡を頂く際に、私のブースNoをご記入ください。

2010/05/08

伴走者

時が経つのは、意識していないと本当に早いものです。
2日に投稿したと思ったら、気がつけばもう6日経っている・・・
その間の1日はとても長く感じていたりするのに、不思議です。

私は、内向的で情緒的な音楽を好んで聴きます。
落ち込んだり悲しい時にも、そのような音楽を聴きます。
そんな時には元気付けに、
明るい映画を観たり、明るい音楽を聴いた方が良いのでは、
という事もありますが、私にはむしろ、
正直な気持ちと向かい合って伴走してくれるような、音楽や映画が合っているようです。

黄昏時、買い物に行く途中一人で川沿いを歩いていると、
不意に胸の中に、木枯しがふくような感覚が湧き起こりました。
寂しいというよりは切ない、悲しいというよりは心苦しい、そんな感じです。
一人で歩く時はいつも音楽を聴いているのですが、
その時も、好んで聴いている、やや暗くて内向的な音楽が流れていました。
この発作的に生まれた負の感覚に拍車をかけるかと思えば、そうではなく、
むしろ、そんな気持ちを浄化させるかのように、
静かな伴走者は私を慰めてくれます。

夕日の中に、負の感覚と音楽が絡み合い、羽根を付けた音符が少しずつ連なって、
口や耳や鼻の穴から飛び立っていくような幻を見たようです。
夕日が全く沈む頃には、心もすっと落ち着いていました。

今感じている気持ちに正直になりたい時、
寂しければ寂しいままで、
悲しければ悲しいままで、自然に任せれば良いのだと思います。
そしてその気持ちと一緒に伴走してくれる、
音楽や映画や、そして絵画が傍にいてくれれば心強いものです。

人との繋がりの中で得られる温もりは、
必要不可欠で、とても大切なもので、
無くてはならないものですが、
人には人の人生があり、
私は私の人生を生きて行かなければならない時、
やはり、 心の拠り所となる音楽や、詩や文学や、映画や、絵画があれば、
自分で自分自身を、いつでも勇気付けられ、
それらに慰めてもらえます。
そして、そんなささやかだけど、忠実な安心感が、
私をずっと支えてくれています。

2010/05/02

蝋燭の花

半年以上も前に種をまき、一度は枯れてしまってとても心配しました。
冬の凍えるような寒さの中、じっと耐えて、春の暖かさを待ち焦がれていたでしょう。

ストロベリーキャンドルという可愛らしい名前の付いた花です。
その名のごとく、見事な蝋燭の華奢な炎のような、
真っ赤な花を咲かせました。

種から育てたので、その花を見た時は胸にぐっとくるものがありました。
良く頑張ったね、という思いです。

小さく純粋な命はいつも大切な事を教えてくれます。
この子が教えてくれたのは、「待つ事」でした。

育てたといっても、
毎日ただ水をやり(時々やり忘れて、しゅんとして元気のない事も多々ありました)、
ほんの一瞬様子を見ていただけです。
特別な事はなにもしていなくて、正直言えば、
あとはオヒサマにまかせっきりで、ほったらかしでした。
 それでも、一人で頑張って、花を咲かせてくれた。

そこで思ったのです。

自分に対しても、人に対しても、
過剰に対応することなく、考えすぎることなく、
適度に距離をおいて、時にはひたすら待つ。
時間の流れに身を任せて、待つことが一番最良な時もあるのではないかと。

このストロベリーキャンドルも、
ほとんどほったらかされていても、
最低限の水分と、太陽の光があれば、こんなに美しい花が咲くのです。

物も、情報も、生き方も、思考も、全てが飽和して過剰な今、
あえて最低限の中に身をおいて、歩んでいくという選択も大切かもしれません。