Kyon {Silence Of Monochrome}

Kyon {Silence Of Monochrome}
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2010/07/10

内猫 外猫 隔てなく

夏は苦手です。少々夏バテ気味です。
クーラーによる外気の差がとても辛く、体力を奪われてしまいます。
家ではクーラーを使う時は設定温度は28℃、
ほとんどは扇風機で事足りてしまいます。
「夏」そのものは、季節の中でも一番青空がすがすがしいし、
日暮れ時の散歩も情緒があって好きだし、
鈴虫やヒグラシの音色が心地よくて好きなのですが、
ビルやショップ、電車などの冷えすぎた空間と外との差が
夏の身体を怠くする大きな要因に感じます。

夏になると、ワサビも定番の「おなかみせ」スタイルで、
大股を開きながら、ドベ~としていることが多くなります。
毛皮を着ているので、ちょっとの暑さでも大変です。
この時期は熱中症にも十分気をつけなければなりません。
以前、初めてワサビが来たその夏に、熱中症をおこし、
2日間ほど押入れから出てこなくなってしまったことがあり、
食事もとらず、だるそうにしているのを見て、焦りました。
それから、本当に暑い日には、冷房をドライにしてタイマーでかけておきます。
過保護と言われますが、その時のトラウマがあるので、
夏はワサビと私にとって要注意の季節です。

私の家の周りには野良猫も多いのですが、
外の猫たちにとっても、夏は大変な季節です。
先日は、酷く年老いて弱った白い猫がうつろな目を私に向けてきました。
思わずその汚さに「ぎょっ」としてしまったのですが、
その猫は飲み水を求めて、さ迷って家にたどり着いた様子でした。
私がためらっていると、猫好きの父が「水がほしいんだろう」と
桶に水を汲んで猫にさしだそうとすると、
猫はフラフラと弱々しく足を引きずって逃げてしまいました。

その時、私の胸は自己嫌悪感に苛まれ、きりきりと痛みました。

猫の世界は私の考えているよりも、
ずっとずっとシビアです。
外猫の現実は、飲み水と餌にありつけなければ、
この暑さの中で体力を消耗し、
もし病んでいたならば、真っ逆さまに死の淵へ落ちてしまう。
そうでなくても、他の猫との闘争や感染症、交通事故や、
悲しくも人間による虐待という恐怖も待っている。
明日は生きているかどうか分からない現実の中で、
外猫の眼は、家猫のそれよりもずっと厳しく苦悩に満ちた光を放っています。
その老いた白猫は、そのような厳しい現実を
その眼差しによって訴えていました。
それでもジタバタせずに、大騒ぎせずに、
運命を静かに享受しているようにも見えました。

ワサビも3年前にボランティアの方から譲り受けた野良猫です。
錆柄というのは、その柄の特性(あまり見た目に美しくない)からなのでしょうか、
飼われている猫は多くないようです。
生まれる数がもともと少ないのか、それとも引き取られる件数が少ないのか・・
私は要因が前者であることを祈ります。

外猫の過酷な現状を見る度に、
「ワサビ、おまえは幸せかい?」と問いかけます。
窓から外を眺めているワサビは静かに尻尾を振りますが、
真意はわかりません。
ある意味、親猫と引き離し、慣れた自然界から勝手に持ち出したのは、
私たちであり、彼女が望んだことではありません。
でも、外猫の過酷な生活とそれによって平均寿命はわずか3年というデータを聞くと、
家猫は長くて20年以上も生きることができますから、
その間、たっぷり愛情をそそいで、美味しい物を沢山食べてもらい、
快適な空間でゆっくりくつろいでもらえたら、それが彼女の幸せにつながってくれればいいと、飼い主の誰もが思うのではないでしょうか。
そして、それが小さな命を守るために私たちの出来ることなのです。

外の猫と家の猫、命の重さは同じなのに、
そこには「寿命」という格差がある。
それを生み出したのは私たちなのかもしれません。
だけど、猫たちは不平不満を言わずに静かに生きている。
お互い必要以上は争うこともなく、羨むこともなく、妬むことなく生きている。
私自身の小ささと醜さを浮き彫りにしてくれた、
そして、どんな命も重さは同じだという大事なことを教えてくれたあの老いた白猫は
もう亡くなっているかもしれません。
せめてあの時優しい言葉をかけてあげればよかった・・今でも心が痛みます。
それから、年老いた弱った猫を見かけると
「がんばれ。がんばって生きろよ」と心の中で声をかけています。
ぼろぼろになっても生き抜こうとする、その姿に敬意と尊敬の念をこめて。