やはり、孤独では、頑張りきれない時もあると思います。
誰かが見てくれていると思えば、何となく心強いし、
辛い時も耐えられます。
前職では誰よりも早く行き、誰よりも遅く帰る日々が続きました。
休憩もろくに取らずに、ただひたすら走り続ける日々。
役職柄、目に見えぬ裏方仕事もこなさなければならず、
最初は会社の為、お客様の為を常套句に使っていましたが、
そのうち、何の為に、誰の為に、頑張り続けて良いのか分からなくなり、
心身ともに焦燥感に浸る日々が増えてきました。
ただ空回りして時間と労力を浪費している自分に、
腑甲斐無い涙を流した時もありました。
こんなにも仕事に集中し没頭する自分がいたのかと、
新たな側面に、自身で驚くと同時に、
「自分の時間」はどんどん減り、その時間の居場所や役割すら分からなくなって行きました。
私が感じていた焦燥感は、その「時間」の悲鳴のようなものだったと、
今になって思います。
それでも我慢して仕事に携わって行く中で、次第に充実感と楽しみを与えてくれたのは、
自分の献身的且つ自虐的な努力等ではなく、
それを陰ながら私を見てくれていた上司や部下、同僚、そしてお客様だったと思います。
時には人間関係に苦しんだ時期もありましたが、
人から得た痛みは、人がまた癒してくれるという事を、
身を持って体験できた貴重な時間でありました。
また、そんな人との関わり合いを密に感じてきたからこそ、
人との繋がりの大切さを理解し、
人を大切にしていきたいという思いを持てるようになったと思います。
「絵」も同じです。
20代の井の頭公園に始まり、今日に至るまで、
私の絵を誰かに観てもらえた、そして、絵を通じて人とコミュニケーションもとれた、
それが支えとなり、描く原動力になっているのも事実です。
以前は、寂しさや哀しさ等、心に巣くう言いようのない孤独感や虚無感が、
絵を描く事で緩和されていた事もあり、
それが原動力となっているのは今でも変わらないのですが、
それに人との繋がりが加わって、
絵を描く事が私の中で、更に意味の深いものに変わりました。
私の知らない遠い場所で、誰かが絵を観てくれている・・
それはとても有難い事です。
1枚の絵を通じて、少しの間、
その空間の中で対話させて頂ければ、
それはとても嬉しい事です。