一年ほど前から、植物を種から育てるようになりました。
最初は、愛猫ワサビの為の、キャットグラス作りだったのですが、
花が咲く植物を育てたいと思い、
初めは百日草を育てて、何とか美しい花を見る事が出来ました。
それから、オジギソウ、ラベンダーと続けて種をまき、
オジギソウは今は葉を落として冬眠中です。
ラベンダーは沢山種をまいたのに、
発芽したのはわずか2つでしたが、それは可愛く寄り添って、
春の訪れをじっと待っています。
そして、ストロベリーキャンドルという植物の種をまきました。
蝋燭のような形の華奢で可愛らしい花が咲くはずなのですが、
まいた時期が悪かったのか、発芽して元気よく育っているなと安心したのもつかの間、
急に枯れ出してしまったのです。
それを見た時は何だかとても寂しい気分になり、自分が悪いように感じてしまいました。
それでもあきらめずに、毎日お水をあげていたら、
しばらくして、枯れた芽の内側に鮮やかな緑色が見え始めてきました。
新しい芽が出てきたのです。
枯れた芽に守られながら、それはすくすくと育っていきます。
それはまるで、親子のようにも見えました。
冬の寒さから、新しい芽を包み隠すようにしっかりと根ずくその枯れた芽は、
子供を守ろうとする親の姿にどうしても重なってしまい、
とても切ない気持になりました。
自分はこれまでに親に対して何か恩返しをしてきただろうか。
それどころか、未だに甘えて減らず口を叩いているではないか。
そう思うと自己嫌悪に落ちつつ、
しかしだからといって今から良い孝行娘になろう、という感じにもなりません。
そうなる為の人格も無ければ、経済力も無いのが現実なのです。
その気持ちをしっかりと受け止めつつ、
じっくりと、これから孝行していければ、それが最善と思います。
まず「親」というものを知り、その偉大さを感じる、そして自分の未熟さを直視する。
それは見えてるようで見えていない、
あるいは見えているのだけれども無視してしまっている事のように思います。
感じた切なさは変わりたいという思いの表れです。
人間にとって避けられない老いと死に対して切実に向き合う為にも、
これまで誰が育ててくれたのかと考え、
親に限らず人生の節々で出会えた恩人達にも思いを寄せて、
人が人と関わりあって行く事の大切さや素晴らしさを改めて考える事は、
とても良い事なんだ、と小さな命達に教わったような気がします。