15年前、阪神大震災の起きた時、
当時テレビで報道された、あまりにも過酷で悲惨な状況を、
今よりもずっと無知で視野の狭かった私は、
対岸の火事の様な出来事に感じていたことを、
今になって、とても恥ずかしく思います。
現在15年経ち、改めて各メディアで 報道されているその過酷な現場、
被災された人々の姿、そして現在見事に復興した町並みを見ると、
失ってしまったものははるかに想像を絶する思いますが、
それ以上に町や人々が固く温かい絆に結ばれ、
大きなパワーを抱いているように感じます。
親しい友人が傍で悲しみに暮れていて、
その感情に共感し、慰めの言葉をかけてあげることはできても、
その心にある本当の悲しみを理解してあげられない辛さがあるように、
ましてやこの様な、抱えきれないぐらいの巨大な悲しみを、
いくら理解しようとしても感じようとしても、
自分には限界があることを痛感します。
ただこの年になって、昔の様に対岸の火事とは思えない、思ってはいけない、
そんな緊迫感が心に宿るようになりました。
いささか遅すぎる感じもします。
しかし、やっとそう思うようになったのなら、
次は行動に移してみようと思います。
例えば、もう一度震災の時の集合場所を家族で確認しておいたり、
家にある災害グッツの中身を点検して、足りないものは補充しておいたり、
悲しくも多くの人々の犠牲において得た大事な「教訓」を、決して忘れてはならないと思いました。
昨年出版した私の本も、
神戸の出版会社の方々が時間をかけて作って下さいました。
メールだけのやりとりだったのですが、
とても温かく、親切に応対して頂きました。
15年前は多大なご苦労をされているのだろうと思うと、
作って頂いた本を大事にしなければ、と思います。
もともと旅行をする機会が少ないのですが、
神戸や広島は、是非一度は訪れてみたいと思います。