年始に借りて見たDVDで、とても心に残った作品があります。
C・イーストウッド監督の「グラントリノ」です。
前々からその評価の高さから見よう見ようと思っていたのですが、
この機会にじっくりと見ることができました。
そして、「百聞は一見に如かず」、噂以上の作品でありました。
海外の映画を見るといつも感じるのですが、
宗教や人種の問題、戦争の後遺症の問題等は、
本当に理解しようとすると、とても難しいということです。
私の勉強不足や、想像力の乏しさも原因しているのでしょうが、
それ以前に、この国のこの町に住んでいて、まず実感として感じ得ないことなので、
私には理解するのがとても難しいのです。
この映画にも、アメリカの実像として、それらのシーンは沢山出てきますが、
それ以外に、日本でも直面にしている老いと家族の問題や、老人の単身化、
地域社会の問題なども含み、
「人間として生きていく上での不可避な問題」を取り上げていたので、
国や生活様式は違っていても、
背負う問題は同じものがあるんだと、共感できる部分が沢山ありました。
切り口を変えれば、いくつもの違った問題やストーリーが見えてくるのです。
「そうか」と思ったシーンは、
モン族の食事会に、主人公のウォルトが招待された時のことです。
美味しい食べ物に段々と心を許していく主人公に、
「美味しい食べ物の前では人は笑顔になる」という通説を、
確信したように思いました。
映画におけるフード理論提唱者の方が以前ラジオでお話しされてましたが、
良い映画には良い食事のシーンがあり、食べ物を大切に扱っているとのこと、
なるほど、と思いました。
私は家事の中で、食事を作るのが大の苦手なのですが、
これからの人生において、食べ物への思いをちょっと考えなおさねば、とも思います。
同時期に「スーパーサイズミー」というドキュメンタリー映画も見ているので、
なおさら・です。
そしてウォルトが愛車を洗車して満足そうに眺めているシーン。
愛車のグラントリノは、主人公のアイデンティティであり、心の拠り所であり、
良き日々の象徴であり、宝物であり、誇りである。
こういうものを一生のうちに持てるか持てないかで、
心の在り方は随分と変わるのかもしれないと思います。
さて、私には何がある?と問うた時に、
「家族」以外に思いつくとしたら、やはり「描くこと」でしょうか。
それは、高価であったり誰に相続するものでも無いけれど、
やっと描けた絵1枚を眺めて思うことと、
主人公が磨き上げた愛車を眺めている時に思うことと、重なる点が有る気がします。
細かい絵を描いていますから、
そのうち身体的に描けなくなる日も来るでしょう。
でも、その「大切な日々」を眺めながら、
懐かしい気分に浸るだけの日々が来ても、
それはそれで、幸せなのかもしれません。
この映画では、感動した・とか、良い映画だった・というよりも、
深く考えさせられる点がいくつもあったということが、私にとって魅力でした。
両親の老いが更に現実味を帯びてきた時に、私はどう対処するのだろう
連れ合いはいるけれど子供は無く、このまま生きていくとどうなるのだろう
単身になった時、地域コミュニティとはどう接している?
孤独で命を断とうとする老人がいる、長生きしてごめんねという老人がいる・・
そんな社会はけして健全とは言えない
暴力は、更なる暴力と憎しみしか生まない
温かく美味しい食は、人と人との繋がりを豊かにする
良き師が若い頃私にも大勢いた、そしてその人たちが私を育ててくれた・・
そして、私にとっての「グラントリノ」は?
こんな思いが見た後に走馬燈のように 頭に広がり離れません。
当たり前の様な問題、事柄だらけですが、
気付くことと、気付かないまま、あるいは気付いても無視し素通りしてしまうかでは、
これからも生きていく上で、それは大きな分岐点に思えてなりません。