2009/11/30

スパイラルに聞こえる音




ベースを手にして10年・・・弾いたり、弾かなかったり、気まぐれな主人で、
リッケンバッカ―も呆れていることでしょう。

音の出る物は魂が宿りやすいと聞きますが、
楽器はまさにその類ではないでしょうか。
私は最初、ギターを弾いていましたが、
とても難しかったのと友人の助言で、ベースに切り替えました。
当時はギターより2弦少ないし・・みたいな安直な考えでしたが、
練習してみてその難しさと奥深さにびっくりしたのを覚えています。
弦の硬さに四苦八苦し、指にはマメができてよく潰れました。
今でも練習不足ぎみな指にはマメができます。
そしてそれが潰れて、硬くなると、調度いい指になります。

重低音には今でも魅了されています。
練習不足で下手なベース音でも、
スタジオの大きなベースアンプにつないで出す大きな低音には、
自分で酔ってしまいます。
昔は個人練習で一人でスタジオに入ったりもしましたが、
狭い空間で、重低音にどっぷり浸かるのが何とも言えない至福でした。
ドラムとリズムセッションするのはもっと贅沢です。
それに、ギターやピアノが入ればもっともっと至福な時です。
絵とは違って、皆で1つになって楽しむことができるのが音楽なのですね。

絵を描くことと同様に、10年付き合ってくれた、そしてこれからもお世話になる、
このベースも私の大切なものです。
単純なベースのリフが頭の中で、スパイラルになり続けていると、
不思議と嫌なことも忘れてしまいます。
下手でも触っているとなぜか安心する、低くて深い音に癒される自分がいます。

あとは年を重ねると同時に、もっと深い低音と魅力的なリフが奏でられるように、
諦めずに練習していこうと思います。
「継続は力なり」を信じて。

2009/11/25

導火線のその先に

以前読んだ本の中に、「怒り」の感情にはその前に「悲しみ」の感情が存在している、と書いてありました。
「悲しみ」が「怒り」の導火線ということでしょうか。
そうだとしたら、この世の中は、沢山の「悲しみ」が交差している様に見えます。
道を歩いていても、駅のホームでも、特に都会の人混みの中では、
できれば見たくないその「感情」=「怒り」はむき出しにされています。
私も多忙と喧騒の中で身を埋めていた頃は、
その「感情」に理性を奪われそうになったことが何度もありました。
その「感情」が生まれる背景には、
忙しくて自分の時間が持てないことや、余裕のないこと、
一番楽しみな絵を描く時間さえもままならないことがありました。
それが「悲しみ」という類の感情だといえば、そうだったかもしれません。
自分を大切にできない自分への「悲しみ」が、やがて「怒り」の感情となり、
心の中で負の連鎖が生まれてしまったのかもしれません。

人は年をとると性格が丸くなる方がいる一方、以前より怒りやすくなる方もいるそうです。
それも、かつて何でもできた自分が、些細なこともできなくなっていく不安や悲しみといった感情が、「怒り」となって、人を苛立たせているのかもしれません。
そう思うと、「怒り」はだたうっとおしいだけではない、深い意味があるように思えてきます。
そのマイナス感情に占拠されている心の中には、もっと深刻な「悲しみ」があるとしたら、
この世の中が何となく違う景色に見えてくるようです。
また自分にそのマイナス感情が生まれてきたら、自分の根本にある「悲しみ」の部分に、
耳を傾けるとよいのかもしれません。
私もそうして、心を鎮めるようにしています。
何が寂しくて、何が悲しいのか、「怒り」を通り越して見えてくる自分、
見えてくる人間が、最終的にはそのマイナス感情を鎮火してくれるように思います。
たとえ理不尽にマイナス感情を突き付けられても、
その裏に「悲しみ」があり、それを理解しようとするなら、
人間同士はもっと、思いやりがもてるような気がします。

2009/11/24

追憶~愛しのブチ猫達~

先日亡くなったチーちゃんは白黒のブチ猫でした。
私の職場にいるオス猫も、白黒のブチ猫です。
思えば、小さな頃から、思い出に存在する猫はみんな白黒のブチでした。
















小学生の頃に一緒だったのは、チビオというオスのブチ猫、
中学生の頃に一緒だったのは、チビ子というメスのブチ猫でした。
ニ匹とも、いつのまにか家に居着いた野良猫でした。
チビ子は特に甘えん坊で可愛い子だったのですが、
たった3歳で、突然亡くなってしまいました。
病院に連れて行ったのですが良くならず、
最後には目が見えなくなってしまい、
見えない目を大きく見開きながら、ニャアニャアと不安げに鳴いて、
腕の中で震えていたのを今でも鮮明に覚えていて、
それが可哀そうでなりませんでした。
普通、野良猫の平均寿命が3年というのに対し、
飼い猫は今では10年から長寿では20年以上生きる猫もいると聞いています。
3歳というのは全く考えもつかない、短い短い命でした。
小さい身体が冷たくなって我が家に帰ってきた時、
それは冬の晴れた日でしたが、
身体も心も凍てつく様な寒さに震えたのは、言うまでもありません。

それからしばらく、猫を飼うことはありませんでしたが、
チビ子の次に可愛がった猫が、チーちゃんでした。
他の家の飼い猫でしたが、
ブチ猫という奇妙な偶然はここでも続いていたのです。

私が白と黒の世界に魅了される理由は、
こんな思い出にもあるのかもしれません。
小さな頃から静かに私の傍にいて、
時には話し相手となり、時には一緒に昼寝をしたり、
時には愚痴を聞いてもらったり、
心の恩師ともいえる小さな猫達の、その存在の大きさに、
ただただ頭が下がる思いです。

2009/11/21

小さな命が教えてくれたこと

私には愛猫ワサビの他に、親しんでいる猫が3匹います。
職場にいるブチ猫のカブ、いつも食事をもらいに来る野良のミケ、
職場の御近所の飼い猫、チーちゃん。
このチーちゃんは10年くらい前から、職場に遊びに来ていて、
カブが飼われてからは、控えめに遊びに来ていました。
貫録のあるオス猫で、頭の良い子でした。
よく御主人と寄り添ってお散歩しているのをみかけました。

そのチーちゃんが最近亡くなったとの訃報を聞きました。
どうりで最近姿がみえなかったのです。
朝昼晩、時には夜中、必ず姿を見せてました。
最近は足を骨折し、その足を一生懸命運ぶ姿がけなげでした。
今まで当たり前だった風景が突然もう見れなくなってしまったのです。
まだその事実に実感がわかないのですが、
例えば夜中、電信柱の近くにいつもたたずんでいたチーちゃん、
昼間、おやつを食べに来て、静かに鳴いてねだるチーちゃん、
食事をした後に、必ず用意したお水を美味しそうにのんでいたチーちゃん、
・・・様々なシーンに彼がいない事で、
段々と小さな命が燃え尽きた事を実感し、
それが心の中で深い悲しみに変わっていくのがわかります。
時が経つごとにそれは激しくなり、
やがて静かに忘却の彼方に去っていくのでしょう。
それでもこの何とも言えない切なさや悲しみは半永久に残るのでしょう。

あたりまえのことですが、
永遠のものは無い、ということをチーちゃんが改めて教えてくれました。
親しむものが多ければ多いほど、失った時の悲しみも多いし大きいのですが、
それでも、今傍にあるもの、傍にいる人、今存在している自分自身を、
今この「瞬間」に大切にすることが、
失った時の悲しみを少しでも和らげてくれるのではないか、と思います。


できればチーちゃんと、もっと「お話し」しておけばよかった。
 天国で、たくさん遊んで、たくさん走り回って、たくさん御馳走をもらってください。

2009/11/19

冬の雨

寒さもいよいよ厳しくなってきました。
特に本日のような雨の日は、
寒さに憂鬱な色彩を添えますが、私はこのような日も好きです。
もともと絵を描いたり、本を読んだり、猫と遊ぶなど、インドアな性格なので、
部屋にこもることが多い毎日。
からっと晴天な日の方が、かえって何かしなければ、
こんなキラキラ輝いている日に出かけなければ損じゃないか、と焦ってしまいます。
なので、寒くて雨がシクシク降り注ぐこんな日は、
自然と気分が落ち着きます。

季節も夏や春より、秋や冬が好きです。
とくに、厚手のコートを着込んで出かける、白い冬の日などしっくりきます。
夏場は集中力も欠けがちなため、
細密な絵を黙々と描くという事柄、冬の方が気分もキリッとしていて調度良いです。
大好きな温かい珈琲を用意して、
狭い空間の中で、広大な白と黒の世界に没頭することが、
私の中で、とても大切な時間です。


2009/11/17

最初の出会い

シュルレアリスムの巨匠マグリットに出会ったのは、小学生の頃。
その知的で幻想的で、非現実なのにとても現実的に見えた不思議な世界は、
当時の私の心象を静かに代弁してくれているようでした。

その後、「ビアズリーと世紀末絵画展」でビアズリーやハリ―・クラークと出会い、
衝撃を受けるとともに、その妖艶なのに洗練された美しい魅力に、
どんどん引き込まれていきました。
それと同時に、懐かしい香りが脳裏に蘇えって離れませんでした。

マグリットと出会うもっと以前、
小学生低学年の頃だったかもしれません。
母の物で赤い布張りの、横溝正史の本が当時のお気に入りでした。
「悪魔の手毬唄」だったと思います。
中でもその挿絵が見事で、ペンで細密にかかれたそれは、
今思うと、ビアズリー等に影響を受けた日本挿絵画家のイラストだったのかもしれません。
内容もさることながら、その挿絵を毎日眺めては、
なんて美しい絵なんだろう、とうっとりしていた記憶があります。
退廃的でやや怪しげな匂いがするのに、とても美しい絵だったと思います。
その本が今手元にないのが、とても寂しくてなりません。
私の今の画風のルーツは、
その遠い記憶にある、鮮明な赤い布張りの本の中に、
そっと閉じ込められています。

2009/11/16

グレーゾーンの有難さ

「グレーゾーン」というと、あまりいい響きではありません。
どっちつかず・のような、優柔不断のような・・・マイナスのイメージが先立つ感じです。
ですが、私はこの「グレーゾーン」を大切にしています。
心の中での話です。

例えばある物事に対して、嫌い!と一言で言い切ってしまうと、後で試してみて
自分に合っていたり、楽しかった場合、
後日やってみたらすごく楽しかったんだ・と訂正するのもいいけど、
少々格好悪いし、だからといって頑なに、嫌い!、でも内心好き・では、
心の中が不安定になるような気がします。
なので、ちょっと苦手だな・と思ったりしても、
「苦手・嫌い」と先走らずに、一歩立ち止まって、まず知ることから始めよう・
と思うのです。
自分なりに試してみて、考察してみて、それでも合わなかったら、
「御免、私には合わなかったみたい」
と、ここでもグレーゾーン的な言い回しで、いいのではないかと思います。
もしかしたらその先に、それが好きな人もいるかもしれない、
嫌い!と言い切ってしまったら、その先にいる人おも傷付けてしまう恐れがあるからです。

はっきりとした世界観や自意識、自己主張が必要な場面もありますが、
普通に生きていて、普通に人と接することが多い日常生活の中では、
私は心のグレーゾーンに大いに頼って行きたいと思います。
その方が、様々な情報を得られるし、
自分の知らない広い世界を知ることができるような気がするからです。

言葉は時に凶器にもなる、とくに殺伐とした現代では、
様々な刃がむき出しに、公然としている気がします。
そんな中で、少しでも思いやりを持てるようにするにはどうしたらよいか、
考えて行動していけたらと思います。

2009/11/14

感情の指揮者

感情が毎日平坦であるというのは無理なことで、
とくにこの都会の雑踏の中で暮らしていると、
様々な心のくすみが表れてきます。

昔から、勉強をする前は机の上を整理整頓し、
終わった後もそれを心がけていたので、
今絵を描くときも、机の上がさっぱりしていないと、気分が落ち着きません。

部屋や机の上など、心模様と連動してるようで、
仕事の雑務に追われ多忙の中で息切れしていた時や、
人間関係で疲労しきっていた時は、それはもう部屋も机の上もひどい状態でした。
そのような状況で、繊細な「絵を描く」という行為ができるはずがありませんでした。
そんな悪循環を断ち切るべく、最初にとった行動は、 やはり部屋の「大掃除」でした。

今は、心のベクトルがあまり良くない方向に向いている時は、
まずその方向転換をするべく簡単な行動をします。
部屋や机の整理整頓や、お皿を洗うなど本当に日常のちょっとしたことを無心でしていると、
部屋がさっぱりし終わった頃や、お皿が洗いあがった頃には、
大体気分がさっぱりしています。
もちろん、それでは改善できないほど落ち込む時もありますが、
ちょっとした工夫で心の風向きを変えられることはおおいにあると思います。

起伏が激しく外部からの影響を受けやすい繊細な感情を、
理性で飼い慣らそうとするのではなく、
美しい旋律を奏でられるような感情の指揮者に、自らなりたいものです。

2009/11/11

次へ~Lovers~

「次の生へ また逢える」
これは、亡くなった祖母のために描いた絵です。

小さい頃、私はほとんどの時間を祖父と祖母の家で過ごしたので、
その頃の温かい記憶には、大体祖父母が存在しています。
絵を描く喜びを最初に教えてくれたのも、祖父母でした。
大事な存在である祖母の死に直面した時、
私は胸の奥深いところで、何かが崩壊するような音を聞きました。
そして、その事実に耐えられない弱い自分がいました。

悲しみや苦しみを克服するために、
あるいは「死」を自分の中で美化するために、
その事実を客観的にみつめるために、
・・理由はいろいろあるけれど、まず祖母に対して、花むけになる絵を描きたかったのでした。
 祖母は亡くなるその時まで、美しい黒髪の持ち主でした。
祖父のところへお嫁に来た当初はとても可愛かったと聞いています。
年老いても私を懸命に育ててくれたその人生に対して感謝の気持ちを表すには、
その時の私には「描くこと」しかありませんでした。

 ~祖母は今から美しい場所へ行くのだ・
そしてそこは人間は誰でも通る場所なんだ~と思いたかったのです。
そして、その思いを描いてみれば、
その美しい場所が本当に存在すると、信じられる気がしました。


思い出深い1枚です。

2009/11/10

救いもあれば・・

描くということに「救い」があれば、
不気味に立ちはだかる「恐怖」もあります。

描けなくなる恐怖・・イマジネーションが枯渇する恐怖・・
白い紙を目の前にして、それは突然に、しかも迅速に、
脳裏を浸食してきます。

小学生の頃、突然その恐怖に襲われて、
一心不乱にデッサンを試みましたが、描けば描くほど、
もがけばもがくほど、それはまとわりついてきて、
とうとうあきらめたことがありました。
そして、2.3日描かないでいると、
もとに戻るのです。

スポーツの世界にスランプがあるように、
絵の世界でも、そういうものがあるのかもしれません。
冷静に対応すべきところを、
やはり、「恐怖」には勝てず、慌ててしまう弱い自分がいます。

「感動」と「恐怖」もある意味、私のか細い神経の上では、
同類かもしれません。
良いもの(特に絵画)にであうと、鼓動が速くなり、感情が高まり、
恍惚としてきます。
そしてそのあとに「恐怖」がやってくるのです。
・・おまえはこのような素晴らしい世界が描けるのか?
描けるものなら描いてみろ・と、闇の中で、声が聞こえてくるようです。
それが私を瞬時に焦らせるのです。

幼い頃と違って、その「恐怖」との付き合い方は、
だいぶ慣れてきたように思います。
が、油断をすると、非常に深い闇に落ちてしまいそうになるので、
前向きで自分を信じる「自分自身」が、
いつでも私の支えとなっています。

2009/11/08

原点回帰

仕事に忙殺された日々を送っていた頃は、
大事なものをぽろぽろと落としながら、
その無残な破片を見ることもなく、突き進んでいました。
ただ、そんな日々は長続きはしないような気もしていたのでした。

「心を亡くして」歩いていた私は、人との接点も自ら無くしていき、
いつか自分が駄目になってしまう時、
この手の中に残るものはいったい何だろう・と自問したとき、
背中に寒気と絶望感がのしかかりました。

他ならぬ自分として生きていくためには、原点に返るのが一番だと思い、
多忙で雑多に散らかしていた部屋をまず片付けて、
絵を描き始めました。
その1枚、「媚薬」を完成させた時は、今までとは違う、
温かい温もりのような光が、心の闇に差し込んできたようでした。

遠い記憶です。祖父が用意してくれていた、広告の白い裏紙に、
好きなだけ絵を描いて、友達と遊ぶことも忘れて描き続けて、
出来上がった絵を見せると、
どんな絵でも、祖母は喜んで褒めてくれました。

それが私の原点です。
その頃の温かい記憶が、私を「描くこと」に導びいてくれたのだと思います。
冬が去り、温かい春が爽やかな風を運んできたように、
私は「描くこと」で救われることを、知りました。

2009/11/05

A Vision Of Monochrome~Kyon 細密イラスト作品集~

絵を描き続けて10年余りたち、今回の個展を期に作品集を作りました。
「A Vision Of Monochrome」Kyon 細密イラストレーション作品集です。

井の頭公園で活動していたころは、
表紙は布張り、ページも全て手作りの本を売っていました。
その時に本を購入して頂いた方には、本当に感謝しています。
あれから10年・・
本を作る・ということは、昔からの夢であり、念願が叶った形となりました。
その1冊を手にした時は、なんとも言えない気持ちになりました。

また10年後・・そして20年後・・生きているあいだ可能な限り描き続けて、
その節目節目で、描いてきた絵に対して恩返しをしていくことが、
私のこれからの夢であり目標でもあります。


※作品集は Web Site「Silence Of Monochrome」内にて販売しております。