Kyon {Silence Of Monochrome}

Kyon {Silence Of Monochrome}
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2009/12/21

視線


ワサビに限らず猫は、じーっと見つめてきます。
この視線が、猫好きにはたまらなくて、
例外でなく私も、この視線のとりこです。

「他の人をじろじろと見てはいけない」のは人間関係の常識ですが、
この子たちは、それこそ四六時中、じっと見てきます。
人の「じろじろ」と質が違うのは、
彼らの目線の奥は「無」の状態だからでしょうか。
何が「有」かと例えれば、それは感情や思考だと思います。
猫に感情が無いわけではありません。
ただその感情はシンプルで、
安全か安心か、危険か不安かというような基準で働いているものだと、
聞いたことがあります。
そのかわり、人間の感情はとても複雑です。
「可愛さあまって憎さ百倍」のような、相反する感情の愛と憎しみが実は表裏一体であったり、
「あばたもえくぼ」のように、好意的な感情が様々な事をひいき目に見せたり、
豊かであるがゆえに、複雑な化学反応を心の中で起こしてしまう。
それがどんな結果になるか、本人さえも解らない事さえある。
そのようなものの「窓」が「目」であり、
「窓」からは、その複雑怪奇で魅力的なものが覗いているから、
人が見つめるという事は、意味が深いのだと思います。
私は人と視線を合わせるのが苦手です。
苦手な人は鼻先をみろ、といいますが、すぐそばに「目」があるので、
やはり苦手です。
ですから人と対面で話していると、たまに目眩がしたり意識にほんの一瞬空白ができるような感じがします。。
大体、緊張などが理由だと思いますが、困ったものです。
もしかしたら、自分の把握しきれていない部分で、
その「窓」から何かを受信、察知しているのかもしれません。
よく「目は口ほどにものをいう」といいますがこの事でしょうか。
それは、意識のレベルでは気づいていない事が多いと思います。
「これは良い感じだ」とか「不安な感じだな」 というように、
うっすらと認識しているのだと思いますが、その感性を研ぎ澄ませようとすれば
ある程度は研磨できるのかもしれません。
ただ現代において、それは逆に自分の心を茨の道に放り込んでしまう可能性があるかも知れないとも思います。
だから、ぼんやり程度が精神的には調度よいのかもしれません。

しかし、愛猫の見つめる「視線」はやはりたまりません。
本人たちはただ、飼い主さんの様子をうかがっているだけだと思いますが、
愛猫=ワサビには、いつまでも見つめられていたいと思ってしまいます。